2007年1月 6日 (土)

ありがとうございました

これまで「よにんべや」を訪問してくださり、見守ってくださった皆様へ

主人は年末の忙しい頃、最後の最後まで病と闘いながら41歳という若さで永眠いたしました。

クリスマスの日に入院してからあっという間の出来事でした。

あと1ヶ月、いえ半月待てば会えたであろうお腹の子との対面を果たせず、自分の腕に抱くこともできなかった主人の気持を思うと本当に無念でなりません。

主人が戦った病は本当にやっかいでした。

軟部肉腫という珍しい病気、さらにその中でも類上皮肉腫という珍しい癌種。

主人は自家がんワクチンをやるときも、1月から試す予定だった新しい遺伝子治療薬をやるときも、常に「同じように苦しんでいる人のために自分で奏効が出たという実績を作りたい」と言っていました。

そして「いろんな治療法があるってことを他の同じように苦しんでいる人にも知ってほしい。そして病院に言われた治療法だけでなく、自分で調べて選択していくべきだ。」と。

そのために始めたブログでもありました。

そして自分の中に生まれた悪い細胞についてもっと調べてほしい。研究をしていってほしい。と思っていました。術後の切断した足から採取されるがん細胞をこれからの医療の役に立ててほしいと願っていました。

去年の5月からの闘病生活。そのつど最良と思われる治療を選んできたつもりです。

それでも、今こう思っても仕方の無いことだと分かっていても、他に何か手段はなかったものかと思ってしまいます。

まさかこんなに早く逝ってしまうなんて思ってもいなかった。

クリスマスの日、さくっと輸血して栄養剤の点滴してもらって、体力を戻して年内には退院しよう。それで来年からの遺伝子治療に通おう。そんなつもりでの入院でした。

私も主人もまさかこのまま家に帰ってこられないなんて想像もしていませんでした。

入院生活が長かったためか、未だに病院に行けば主人に会える気がしてなりません。

「お待たせ」と私が病室をのぞいて「おつかれ」って笑顔で言ってくれる。そんな気がしてなりません。

目の前にお骨はあるけれど、それが主人とはとても信じられません。

何度話しかけても主人は答えてくれません。

私が泣いているときに必ず差し伸べてくれたあの暖かい手で私の頭を撫で、頬を撫でてくれることはありません。

あんなに沢山の「愛」をくれた主人に私は何をしてあげられたのか・・・

今はただただ悲しいばかりです。悔しいことに、今思い出すのは最後まで病と闘っていた苦しそうな表情ばかりです。

天国で「笑って」って言っていると思います。「泣いてばかりじゃだめだよ、お腹の子元気に産まなきゃいけないんだから。」って。

今の私は回りの家族や友人、多くの方に支えられてどうにか立っていられています。

特に主人の会社の方々。主人がこのブログで「ボス」と呼んでいた方です。最後の最後まで本当によくしてくださり、主人は「ボス」が最後に病室に駆けつけてくれたのを待ってから永眠しました。

何よりも「ボス」に感謝し、亡くなる直前まで「ありがたい。頭があがらない。そう伝えて。」とつぶやいていた主人も「ボス」に見送られて幸せだったと思います。

主人を送り出せたのも、今こうして私がブログに向き合って主人について書くことができるのもこの方のおかげです。

これからは主人の遺志を継いでもっと詳しく主人の闘病生活を書いていきたいと思います。

そして病魔と闘う人にあきらめないでがんばってほしいと思います。

ただそれにはもう少し時間がかかりそうです。

まだまだ書きたいこと、書かなければいけないことは沢山あります。それは私のブログ「こころのぼやき」に随時書いていくつもりです。

最後の最後まで戦い、私に伝えようとしてくれたことを残していきたいと思います。

本当にこれまで沢山の方に訪問していただき有難うございました。

こころよりお礼申し上げます。

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2006年12月17日 (日)

粘り勝。

久しぶりの更新です。
退院後、胸水の方は抜けたのですが、抜けた処に大きな瘡蓋の壁が出来てしまい、状況としてはかえって悪くなってしまった様です。肺転移の癌の進行が元気すぎて、右肺の転移の数も増えてしまっていて、当初予定していた様な、治療結果には、ならなかったようです。おかげさまで、現在は、いよいよ松葉杖で、2~3歩、歩いただけで息切れしてしまい(これ、ホンと)、シャワー浴びるのなんて半分命がけ、トイレで頑張る時は、先日、病院でリースした「ハイさんそ」と言う、酸素マシーンから15メートルの酸素チューブの延びた物々しい機械が、トイレのお供です。医師は、もう右肺は諦めて、とにかく左肺に万が一の事の無いようにとアドバイスしてくれるのだが、特に具体的な治療法はないようです。とにかく何か有ったら直ぐ連絡してくれと言うことと、週に1~2回のまめな検診が、今のカードとなってしまいました。他にオプションで、肺水を抜く時に刺していたチューブの部分に癌腫瘍が転移していたのがまたまた分かり、医者は左肺に負担が掛かるからと手をつけたがらなかったのですが、既に松葉杖を着く時に、腫瘍が当たって歩行が困難になりかけていたので、無理を言って、放射線治療をしてもらう事になりました。

今の自分から、松葉歩行といえども1日、10歩程の重労働が出来なくなったら、チョツト辛いかなーと思ったもので。
とにかく、登る山は、確実に高くなっていくようで、その速度に今度は付いていかないとまずいので、以前、ボスにアドバイスされた様にこちらも今、次の手を考えています。又、チョット変わった治療法なのですが、今は、打てる手は、どんな事でもやってみるつもりです。たまに、仕事のときに使っていた、茶色いシステム手帳の中の、会社の年間スケジュールを眺めながら色んな事を考えていますが、来年の1月には自分も親父になます。名前ももう、決めてます。新しく誕生する、子供の為にも。腰が痛く足を引きずりながらも、自分の介護に嫌な顔もせず献身的に動いてくれている妻の為にも、しっかりこの山を登りきろうとおもいます。

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2006年11月29日 (水)

明日、退院です。

明日、退院になりました。
細かい報告は、又後日します。入院中、お見舞いに来てくれた方々、本当に有難うございました。KAKAくん、お土産のあかべこ、ストラップで大事につかってます。色々、ご心配をかけた方々にも、取り急ぎこの場を借りてお礼申しあげます。

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2006年11月23日 (木)

今は。

入院生活も早や2週間強。
胸水の方もだいぶ少なくなり、月曜日のCT検査である程度状態がはっきりしそうです。又、ソケイ部と骨盤の放射線も10回の内の2回が終了し、これはとにかく、リンパ節がこれ以上大きくならないうちに勝負がつくよう競争です。
今は、一つ一つの病状と逃げずに、どれだけ効果の高い治療をしていくかと、考える事が自分の一番の仕事です。一つ超えたと思ったら又同じ問題が出てくるだろうが、高い山に登ったほうが、見える景色も、見える世界も、得るものも、
変わってくるはずなので、命綱をしっかり打ち込んで、この山の山頂をコツコツと目指します。もしかすると今までは自分の目の前にあった山から逃げていたのかもしれませんが、今、こうやって面と向かって挑めている、キッカケを作って
くれた、今回の病気にチョットだけ感謝してもいいかなと思っています。

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2006年11月12日 (日)

入院してます。

本日11月12日(土)午後2時なぜか病室にいます。
結局胸水の溜まる勢いが予想以上に早く、先週の日曜の時点で風呂場で動けなくなり、月曜日早々に病院に行きました。
病院に行く際も松葉杖で1,2歩歩くだけで息ができなくなり、玄関から車に乗るだけでかなりしんどい思いをしました。
病院に着くと既に入院の準備が整っており、病室の空きのないところ、ハイケア室という手術後等に使う部屋に入院させてもらいました。
担当の医師が多分もう胸水が溜まって苦しい状態で来ると予測していたらしく、優先的に病室を空けてもらいました。その日の夕方にはとりあえず針で胸水を抜いてもらい、呼吸の方はだいぶ楽になりました。ただ同時に食欲がなくなってしまったことや、胸水で体の栄養状態が悪くなっていた為、同時に点滴も始まりました。
2日目にはいよいよ肺にチューブを入れて胸水を抜く治療を行いました。メスのようなもので右肺あばらの辺りに切り込みを入れて後はもう職人作業で肺の背中の方にチューブを6センチほど押し込みました。チューブの先端に蛇口のようなものを取り付け、その日から昨日まで朝夕胸水を抜いてもらいました。トータルで3リットルくらいでしょうか。
現在は食欲も戻り、呼吸もだいぶ落ち着いて松葉杖で少し動くぐらいはできるような状態になっています。このまま自然癒着で治れば嬉しいのですが、それが無理だと癒着剤を使いまた副作用で高熱と痛みと戦わなくてはいけません。とにかくこれでくっついてもらえることを希望しているのですが、ただ、なかなか話題性の多い体みたいで、実は3日ほど前に左足ソケイ部を触っているときに、新たに腫瘍を発見してしまいました。大きさでいうと直径4センチくらいというところでしょうか。
場所的にも義足をつけるときに非常に影響のある場所で、体全体に転移の可能性がある今の状態ではそこだけ手術で摘出するというのも難しいようです。週明けに治療方針等の話が先生からあると思いますが、事前の説明では放射線を当てるようなことをおっしゃっていました。
今回の病気で人の体の仕組みというのはまったく予測不能なのだとつくづく思っていましたが、これだけフルコースで次から次へ料理が出てくるとは思っていませんでした。
ただ今回の治療の件に関しても、しっかり自分で納得のいく治療をしてもらえるようにしっかり病状を認識して進んでいきたいと思います。

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類上皮肉腫について。(11月3日作成記事です)

軟部肉腫・類上皮肉腫の方、類上皮肉腫の患者を身内に持ってらっしゃる方に、今、自分が行っている治療法を1つの情報としてお話します。原発は、左下腿部でした。今年の4月頃にピンポン球2つ分位のシコリに気が付き始め新宿にある、大きな大学病院で1ヶ月程通院して見てもらったのだが中々具体的な病名が聞けず、色々と情報を集め、軟部肉腫では、日本で1番権威の有る先生がいる、癌専門の病院を紹介してもらいました。案の定、診察してもらった、その日の夕方には、自分の病気が類上皮肉腫であること、リンパ節転移・スキップ転移が起きやすいこと、有用な抗がん剤はまだ確立していない等の説明を聞くことが出来ました。入院後、すぐに生検手術を行い、白血球の回復を待って、今度は3種類の抗癌剤治療を1月弱クールで行いました。初めが、シスプラチン。2回目がアドリヤマイシン。3回目がイホマイドでした。副作用だけは、しっかりと出たのですが、肝心のがん細胞は、小さくなるどころか、その3ヶ月で更に大きく成長して、左足膝の裏、左足付け根のリンパ節まで転移してしまいました。結局、有用な抗癌剤は探れないまま、入院3ヶ月強で左足大腿部の切断手術を行いました。術後の生活の事も考え、足の付け根ではなく、膝上での切断を選択しました。しかし、退院、1ヶ月後の外来のCT検査で右肺への転移が見つかったのです。其の時は先生との打ち合わせで、とにかく、目眩めっぽう効く抗癌剤が見つかるまで治療を直に始めようと言うことになり、ベット待ちをしていたのですが、入院の前日に手に入れた、「わかさ」と言う雑誌で自家癌ワクチン療法というものを見つけ、先生には無理なお願いをして、抗癌剤治療の前に自由診療で自家癌ワクチン療法を先に行うことにしたのです。自家癌ワクチンの詳しい説明については、セルメデシンと言う会社のHPで確認してもらえればと思いますが、簡単に書くと、まず、手術の際に摘出したホルマルン固定の腫瘍細胞を特殊な加工をしてワクチン化するというものです。それを2週間置きに計5回皮内注射して体内のがん細胞と戦わせて免疫を活性化させるというものです。そのため、基本的には一度なんらかの形で手術をしたものにしか利用できないやり方ですが、自分の体のがん細胞の目印を明確にできるので、症例数はまだ少ないですが、高い効果があがっていると言われています。なかなか癌になってしまい入院してしまうと治療情報とか選択肢というのは患者本人には狭められてしまいますけれど治療自体も自己責任だと思うので、特にこの自家がんワクチンがどうのという話ではなく、納得のいくまで自分の病気と向き合う姿勢だけは持っていきましょう。

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2006年11月 2日 (木)

神棚設置。

本日、ようやく1階のリビングに、神棚が出来ました。
以前から近所のご主人にお願いしていたのだが、自営で内装業をやっていて、休みもないほど忙しかったのだが、久しぶりに体が空いたという事で、神棚の設置にと来てくれたのです。流石プロの仕事という感じで、下見の後、仕事道具とベニヤ板を持ち込んで、手際よく取り付けてくれました。帰りがけに、封筒に入れた手間賃を渡そうとしたら受け取ってもらえず、仕方なく買い置きしていたクッキーを持って帰ってもらいました。家の周りのご近所さん、特に家を含む4件は、やたら付き合いが良く、と言っても何時もこちらがお世話になりっぱなしなんですが、つい1年数ヶ月前に越してきたとは思えないほど、良くして貰っています。わりとお兄さん、お姉さん的な人達が多いので、嫌な顔一つせず色々と力になってくれます。人の縁とは、自分で引き寄せられる時と、受身で与えられる時とあるけれど、自分の人生の中では、何故かどちらのケースでも良い方達に恵まれていて、何時も周りの人達の助けを借りて生きているのだなーと、つくずく思いました。借りばっかりで、何も返してないのですが・・・・・・・・・。

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2006年11月 1日 (水)

自家癌ワクチン終了。

本日、自家癌ワクチン最後の注射が終わりました。
2日後、免疫反応をもう一度確認してもらいにいきます。注射の跡が赤く反応していれば良いらしいのだが、まあそれ自体は一つの目安で、直接の効果とはあまり関係ないとのことでした。効果自体はまだまだこれから時間をかけて現れてくると思います。その他、自家癌ワクチン後の治療法について打ち合わせをしました。ここ5日ぐらいは、いよいよ熱が38度に到達し、日に日に体力が削られていきそうなので、とにかく食事が出来そうなときに食べています。ナチュラル・ダイエットってところです。
体調も芳しくなく、色々思うように事が進まなくて、多分、人生の中で、今一番煮詰まってると思う。8ヶ月目に入る妻のことを考えても、良くやってくれていると頭が下がります。乗り越へ所なんだと思います。今を笑って過ごせるかどうかが、自分が少しでも強くなれるかどうかだと。実際には咳きや吐き気で、へらへら笑っているのも中々難しいのですが、ここからグワーと気持ちを前向きに持っていき、ファイティングポーズに戻します。いつまでも弱い自分に浸っているのも、そろそろ飽きたころですので。

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2006年10月29日 (日)

抜いちゃいました。

スパルタNsさんすいません。入院、先送りになっちゃいました。
実は、この前の木曜日に、外来で先生に診てもらった時に打ち合わせをして、まず入院しないで細い針で2~3回に分けて外来で抜いて見ましょう、と言うことなって、その日の夕方にリハビリ室で、緩和ケアの先生にチュウチュウと2リッターぐらいの肺水のうちの800ccを、吸い出してもらっちゃたからなのです。もしかするとこの方法で2~3回抜いている内に自然治癒する可能性があることと、病室が満室だったこと、入院方式だと、もっと太いチーブを2週間わき腹に刺しっぱなしで、シャワーも浴びれないことと、なにより木曜日の時点で右肺がもう満水状態で、寝て起きるだけでも溺れそうに苦しくなっていて、その証拠に、その日の夕方、久しぶりに元気に喋っている自分を妻が、別人でも見るように、よっぽど我慢してたのねと、感想を漏らしていたぐらいで、実際に5秒間話しただけで酸欠に陥っていたので、正直、何でもいいから早く吸っちゃて、と言う感じでした。只、針で抜くと言ってもやはり初めての経験で、肋骨と肋骨の間に針を刺して、そこに少し太めの注射器で吸い出して行くと言う、ケッコウ職人チックの手作業で、先生も心配させまいとしてか、ずーと話しかけてきてくれて、途中容器に溜まった真っ赤な(肺水と言っていたので、てっきり透明なものだと思い込んでいたのだが、実際は真っ赤でエグイ色をしてました)肺水を、わざわざ目の前で見せて下さって、今日はこれぐらいで止めときましょうと、丁寧に説明してもらいました。中々、一気に抜いてしまうと肺が傷ついてしまったり、呼吸に障害が出たりすることがあるのと、分割で抜いている内に、体が異変に気が付いて、自然治癒する事もあるので、まずそちら狙いで行きましょうと言う事になりました。又、外来の時に顔出しますんで大人しくしていなさい。
その後、体の状態ですが、肺水の方は、とは言ってももだ1リットルちょっと残っているのでまだ少し違和感は有るが、副作用の咳きが出る事以外は前のような苦しさからは、抜けれたようです。ただ、毎日夕方になると出ていた微熱が、今日はいよいよ、38度代に突入して流石に、ダルさ爆発といった感じです。又、サリドマイドの服用も、まだ1っヶ月も経ってないのに、いっちょまえに、副作用が現れてきていて、今日、朝目覚めると右の手に痺れが走っていて、夕方頃まで、抜けませんでした。睡眠薬としては昔の物で、あまり性能は良くなく、飲んでも眠くならないくせに、次の日は、やたら抜けずらい、と言うシロモノなのだが、元々血管の成長を妨害する性格が強い為に、最近のがん治療では、癌が、血管を伝わって増殖していく道を、断ち切るという成果も報告されており、チョットやって見ようかと思い始めたのだが、そんなに早く副作用なんか出なくてもいいのに、どうも体が敏感に出来ているらしく、しっかり成分を受け止めてくれたようです。まあ良く考えれば、体が反応していると言うことは、体に効いていると考えても罰は当たらないでしょう。熱が38度に上がったのも、いよいよ自家癌ワクチンが、本格的にがん細胞に戦いを挑んでいると言う事だろうから、今まさに自分の体の中で、様ような化学変化が起きているのでしょう。そろそろ癌細胞にもお引取り戴く時が来たと言う事でしょう。

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2006年10月23日 (月)

そもそもブログって?

スパルタNsさん、コメントありがとう。
それではお言葉に甘えて、近々入院させてもらいます。眺めのいいベットを空けて待っていて下さい。でも、何の目的も無く暇つぶしに来るのだけは止めてくださいね。
今朝はサリドマイドの影響で、妻に起こされるまで熟睡してました。やはり起きてからも薬が抜けきらず、少し頭がボーとしていました。昼ごろに気分転換で車を運転して、モスバーガー(テイクアウトで)に行き昼食をとり、その足でミニストップに寄りソフトクリームを食べて家にもどりました。その頃には薬も抜けて頭もスッキリしていました。今は、肺の痛みの為リハビリが行へず、入院してた頃ぐらいの運動不足に陥ってます。夕方には、神棚の設置をお願いしていた近所の旦那さんが、下見に訪れ、設置場所の目星をつけて帰っていきました。近々、仕事が早く終わったときに付けに来てくれるとのことです。夜は、妻の手作のクリームシチューとチーズケーキを頂き秋の夜長を堪能しました。って、チョット日記っぽく書いてみたけど、ブログってこんなんで良いんでしたっけ?

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2006年10月21日 (土)

親の心は?

自家癌ワクチンから3日目、反応は過去2回と同じ。昨夜、サリドマイドを抜いたので倦怠感は無し。但し、朝から咳がでて、夕方に血痰が出た。又、呼吸と共に喉の付け根ぐらいの器官からヒューヒューと空気が抜けるような音を確認。どこかに穴でも空いてしまったのだろうか?

先日、10年程昔に面倒を見ていた部下から突然電話が掛かってきた。

かなりハードに仕事をしていた時の部下で、プライベートではよく、ウインドサーフィンをしに海に行ったりもする関係だった。あまりにも久しぶりだったのでどうしたのか聞いてみると、人伝手に自分の病気の事を聞いて、だいぶ前からブログを見ていたとの事でした。ブログを見る度にパソコンの前で泣いてしまって、なかなか連絡をする事が出来なかったらしく、ただ、どうしても頑張って下さいと一言、言いたくて掛けてきてくれたそうです。丁度、今の会社に転職したてのころの部下で、過酷な仕事(その頃の自分自身が大分気合が入っていたので)を、良くこなしてくれていた奴で、最後、辞める時もわんわん泣いていたイイ奴でした。たまに思い出しては何処かで野垂れ死んでないか心配していたのだが、こんな形で電話を貰うとは考えてもいませんでした。とにかく又、ウインドをやろうと言うことで電話は終わったのだが、何かの縁で、今まで沢山の新人や、部下を見てきた。仕事がもともとハードなので、辞めていく人間の方が圧倒的に多いのだけど、

それでも常に心に決めていたのは、もし、何処か他に行ってしまっても一人前の社会人として働けるよう、自責の念を忘れないように接して来ました。そんな自分の思いが一番強い頃の部下だったので、恨まれてはいても、よもや心配なんかしてくれてるとは思っても見なかったので、電話を切った後で、気持ちが熱くなりました。何処の組織でも、会社でも同じだが、上司や、トップは、実は何時でも真剣に部下の事を考えているのだが、実際に下に降ろされる時には歪んで誤解される事が多々ある。夜中まで社員のモチベーションの為に役員が身を削って話していても、それが伝わることはほとんど無い。親の苦労子知らず。と言う事だろうか。でも、やはり親だけに、どんなにキツクしても、辛い仕事を指示しても、子は可愛いのである。

それが少しでも伝わっていたのかと思い、少し救われた気がしたのだ。

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無理はしないで少しずつ。

3度目の自家癌ワクチンが終わりました。
後はじっくりワクチンが体に沁みこんで癌細胞をやっけてくれるのを待つのみです。胸水と癌細胞の数ミリの成長に関しては、あまり芳しくないとの事で、いよいよサリドマイドでの治療も追加する事になりました。もともと睡眠薬なのだが、飲んで効き始めるまで時間が掛かり、朝もいつまでも眠気、ダルさが残るようです。又、副作用で倦怠感、手足の痺れなども報告されており、実際、飲み始めてみると体が起きるまでに時間がかなり掛かります。しかし、あまり好き嫌いも言っていられないので、暫らく続けるしかないのですが・・・・・。
胸水の方は、特に良くなる気配も無いので、来週辺りにもう一度外来で診てもらってから入院して抜いてもらうつもりです。今の状態で、1リットル~1.5リットルぐらい溜まっているのでは、との事でした。そうなると1~2週間の入院になるそうで、妻の体の事も心配だし、本当は今月の中旬頃から会社に復帰しようと思っていたのがズルズル延びてしまって、更に又ここで時間が空いてしまうのが悔しくてしょうがありません。自分の帰る所が遠くに行ってしまうようで・・・。
それでなくても、ここ20日間ぐらい、夜になると37.5度ぐらいの微熱が出て、体のコントロールが上手く出来てなくて、ふと気がつくと妻にあたってしまったり、眠れなくなっていろいろ考え事をしたりと、あまり自分の進みたくない方向に向かっている様で、人生始まって以来の追い込みにあっています。ただ有難いもので、こんな時に、ブログを見て電話を掛けてきて下さる会社の方や、メールで励ましてくれる友達、ブログでコメントをくれる嘗ての入院仲間、わざわざ御札を貰いにいって下さったコンサル会社の社長さん、まだ見捨てずに自分の復帰を待っていて下さるボスと会社の仲間達。人間ってどんな時も、其の時の環境の中でギリギリ頑張って、もがいて生きていかなくてはならない生き物で、何時でも最悪だと思ってしまう人は死ぬまで、其処からは逃げられないのだろう。ただ同時に、人間というのはどんなに苦しくても、辛くても、必ずいつかは前を向いて歩き出さなくてはならない生き物でもあると言う事も身に沁みて判りました。思った程強く無かった自分をあまり攻めずに、とにかく今は少しでも前を向いて無理をしないで進んでいこうと思います。いろいろな方からの勇気を、少しずつ分けてもらって。

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2006年10月19日 (木)

ちいさな勇気。

いよいよ明日、3回目の自家癌ワクチンです。

先週のCTでの確認では、先月の物に比べ数ミリの成長が認められました。これがどれ程の事なのか聞く間もなく、写真の右側の肺を半分ぐらい影が覆っているのが見うけられた。先生曰く、肺に水が溜まっているとのこと。がん細胞が何らかの引き金となって溜まり始めたのだろう、との事。胸の痛みも、炎症を起こして肺に穴が開いた為との見識でした。自分としては、骨や筋肉などへの大きな転移も考えていたのでまずまずの状況かなと思っています。ただ、肺の水も放っとく訳にもいかず、どこかのタイミングで入院して抜かなくてはなりません。先生はもう少し痛くなってからか、息が苦しくなったらにしましょうと、言っていましたが、どこで判断すれば良いのかはこれまたシロウトには難しいなーと思っています。既に寝返りをしたり、起き上がったりすると、暫らく息が詰まったようになっているので、この状態がもうしばらくつず続くようならば、入院する予定です。

今回、癌の発覚から入院、手術、退院、そして転移、妻の妊娠、と半年の間に色々な事がありました、その都度なんで自分なのか、夢じゃないのかとか、今でも朝起きる度に左足を確認しては、そうだよなと、自分に言い聞かせていました。そんな自分の気持ちに少し変化をもたらす出来事がありました。CT検査後に、リハビリ室で義足の調整をいつものように行っていたとき、後から小さな女の子が入って来ました、車椅子に座っていたので、その子の左足が無い事に気がつくのに時間は掛かりませんでした。丁度自分が手すりを持って義足の練習をしている横で、女の子が多分術後始めてのリハビリだったのだと思うけど、手すりを使って片足歩きの練習を恐る恐る始めました。始めはとても怖がっていて、最初の一歩が中々踏み出せませんでしたが、暫らくして先生達の励ましで、一歩ずつ歩き出しました。横で只、そんなやりとりを聞いていた自分は気がつくと泣いていました。その女の子はまだ9歳で、後で聞いた話ですが、先生に、「義足を着ければ又、走れるようになるからね」と言われた時に、ちょっと寂しそうに「足が速かったから悔しい」と、答えたそうです。足を失って苦しんでいるのは自分だけでは無いし、世の中には、もっと辛い思いをしている人達は沢山いるのだから、と、妙に自分に言い聞かせて来た割に、中々消化しきれなかった自分には、とてもショックな事だったのでしょう。たかだか術後2,3週間の女の子が前を向いて生きようとしている、自分の4分の1も生きていない子供が、頑張って恐怖と戦っている、ふと、自分を振り返った時、自然と涙が出てきたのです。まだまだ、自分の心の中に甘えがあって、もっと強く生きていかなくてはいけないという気持ちになりました。もう一度、今の自分をしっかり受け止め、気持ちにブレのないようにと9歳の女の子に教えられました。彼女が1日も早く歩けるように、いや、昔の様に、走れるようになるよう願っています。

ココログが工事中だった為に掲載が遅くなりました。

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2006年10月11日 (水)

「おい、俺の癌細胞!」てな気持ちです。

いよいよ明日、一ヶ月ぶりのMRI検査です。
今の気持ちは正直、不安な気持ちで一杯です。自分で選択した治療法は先日、2回目のワクチン注射も終わり来週最後の1本を残すのみで後悔はしていません。只、10日程前から転移のある右側の肺、アバラの辺りが疼き、ちょつと動かしたり、寝返りなどするときにズキリと刺激が走り、嫌な気持ちにさせてくれているのです。とにかくワクチンが効きだすまではおとなしくしてろよ、と思っていたので・・・・・・・・・。
痛みが始まってから5,6日ぐらいは妻には黙っていました。無意味に心配を掛けたくなかったのもあるけども、自分の中で認めたくなかったという気持ちのほうが強かったのかもしれません。その間は気持ち的にも不安定で、妻と話していても、気持ちを隠している自分にイライラしていました。さすがに数日前、妻に症状を伝え(余計な心配を増やしてしまったが)てからはイライラは無くなったが、今度は転移の進行の不安が頭を大きく擡げてきました。実は数日前から、治療の一環としてサリドマイドという睡眠薬をのみ始めのだが、薬を飲んでいるにも関わらず、平気で2,3時間眠れなかったり、日ごろは見向きもしないゲームを何回も何回も繰り返しやったりと、どう見てもやられちゃってるなーというのが今、現在の状況です。とにかく、明日の今頃には少し病状が分かっているはずですが、検査を受けることがケッコウしんどい気持ちです。後は、神頼みです。どんな結果でもしっかり受け止めるつもりですが、たまには良い方で驚かしてください。「おい、俺の筋肉!」って、あるけれど、「おい、俺のがん細胞、どっちなんだい!」と言う心境です。

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2006年10月 9日 (月)

都合の良い願い。

しまさん、まんちん軍団のいとーさん、コメントありがとう御座いました。
いとーさん、是非一度ウインドご一緒しましょう。自分のウインド仲間も紹介します。
もうみんな、おやじですけど。今はまだ義足の練習中ですけど、必ず復活します。
さて、久しぶりのブログですが、ぼちぼち忙しい日々を、送っていました。リハビリや病院以外でも、ちょっと遠出をしたりとか。
先日神棚を買いまして、遠出に関係有るのですが。以前このブログでお話しました、会社のボスに、岡山県にある金比羅院に癌のお払いをしに連れて行って貰ったのです。
以前から、うちのグループの役員は年に1、2度行っているのは知ったし、毎年、新年には会社で館長先生には、お払いもして戴いていたので、馴染みの無い所ではなかったのですが、今回はわざわざ自分の癌封じ(子供の安産祈願もしてくれました)の為に、先方と日程を組んでくれて(実際行ったのは、月末の忙しい時でした)の事と云うだけではなく、金比羅院総本山での癌封じの祈祷は、個人の為には通常やることは無く、年間で決まった日にしか行はないと云う話を、後から聞かされました。うちのボスもそうですが、金比羅院の総本山の館長先生も、日々、日本中を飛び周っている方なので、本当に有難い気持ちでいっぱいになりました。特に今までの人生の中で何かの宗教を積極的に信仰したことも無かったのですが、そうではなくて、忙しい中こういう機会を作ってくれたボスや、全身全霊で自分の為に祈祷をしてくれた方々に、感謝と感動で涙が出てしまいました。帰りは少し時間を使い、観光地巡りもしました(多分ボスは、退院後の気晴らしで誘ってくれた所も有ったのだと思います)。
そんな事も有って、折角戴いた御札に失礼の無い様、急遽、神棚を用意して毎日、朝晩、手を合わせています。都合の良いお願いを、毎日朝晩繰り返しています。感謝の気持ちは今回の病気で深く心に沁みてきました。一人で生きる事の無力さも分かりました。意味の無い人生、意味の無い時間なんて無いことも今は少し分かりかけてきました。そして、今まで当たり前のように朝、目覚められることが、一日一日が過ごせることが嬉しくてなりません。

まだ、自分には恩を返さないといけない人が沢山います。都合の良いお願いは、これからも毎日、朝晩続けるつもりです。

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2006年9月24日 (日)

変な点てんが!

スパルタNsさん、コメントありがとう。
初めての、切断患者の対応にしては見事でした。
もし、自分が逆の立場なら、どう声を掛ければいいのか?どうフォローすればいいのか?
と、入院中に考えた事があり、そう考え始めると、看護師の仕事ってシンドイなーって思い、一度、スパルタNsさんに患者さんのメンタルフォローのマニアルがあるんでしょって聞いたとき、
あっさり、そんなもん無いよって答えが返って来て、再度関心してしまったのを今でも覚えてます。
自分みたいな患者さんって、(もっと、デリケートな患者さんは いっぱいいるとは思うけど)どこに気持ちがぶれるか見当もつかないと思うけど、それを看護師さんは経験値で対応してるとは、
やっぱり、たいしたもんだと思います。
また、抗がん剤治療でお世話になりますが、ナイスなフォロー、お願いします。

Img_0945_1さて、水曜日に打った、自家癌ワクチンの本ちゃんですが、まだ効き目どうのこうのは判らないのですが、注射のあとは写真のとうり、ちょっと気持ち悪い事になっちゃってます。
左腕に一度に5箇所注射をしたのですが、多分其の時に液体以外の物が、腕に残ってしまいこの様な状態になってしまったのです。治療上、なんの問題がなければいいのですが、特に最初に説明の無かった状態なのでチョット気になっています。
当然、同じ写真をメールで見てもらっているので、返答を待っているところです。と言っても、薬が効いてくれれば、こんな痕100個残ろうがどうでも良い事なんだけども。
これ以外今のところ、特になんの副作用は出ていません。

今日は、久しぶりにすき焼きが食べたい、というリ自分のクエストに答えて、義理の両親が、わざわざ料理を作りに来てくれました。
ここぞとばかり、体の自由が利かない妻と自分は、ミネラルウオーターと野菜ジュースワンケースも買ってきて貰い、ついでに2階に上げてあったガスファンヒーターも下ろしてもらいました。
なかなか足の痛みもあって、義足のリハビリが思うように進まないのと、本来なら自分が力仕事担当であるべきなのに(義理の父は来年定年です)、という思いが心を不安定にします。
術後の何も出来なかった状態よりかは、遥かに良いのですが、周りで皆が動いている時に、自分が何も出来ないのは、やはりきついものがあります。
特に、今住んでいるところは、ご近所さんも良い人ばかりで、何かと、手打ちソバだ、ラーメンだ、煮物だ、畑でとれたとうもろこしだ、とか言って、今では気がつくと庭の窓から直接声が掛かるまでの付き合いになっていて、自分の病気のこととか、妻の妊娠のこととかで、ご近所さん共同で、ゴミだしや、荷物運びをしてくれていて、引越して来て、一年しか経っていないのに、なんでこの人達ここまでしてくれるのってつくずく今回の病気で、本当に自分は良い人達に、良い人の縁に恵まれていたのだなーと、思い知らされているのだが、逆に何も出来ない自分、甘えっぱなしの自分(会社に関しても同じです)が、どう言い訳しても辛いのは確かです。

日に日に、お腹の大きく成っていく妻に負担ばかり掛けて、風呂に入るのもまだ一人では覚束無くて、荷物を運んでやることも出来なくて・・・・・・・・。
昔の身体の時には当たり前にやっていた事が、これほど何も出来ないのかと考えるときは、正直あります。
只、やっぱり周りで支えてくれている人達、協力してくれてる人、何より妻の為にもとにかく今は、前に前に進もうと思います。
誰もが、普通に暮らしているときには気がつけない、人の本当の優しさや、感謝の気持ち、生きてることの大事さだけは、間違いなく心に刻む事が出来たのだから、後ろを向くのは罰当たりっぽそうなので。

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2006年9月22日 (金)

スパルタNsって?

しまさん、スパルタnsさん、コメントありがとう。
で、スパルタnsさんって、どこのどなた
でしたっけ?
まさか、入院中お世話になった看護師さん?
・・・・・・・・・・・・・・。
実話ここだけの話、入院中厳しい看護師さんに
毎日のように虐められて・・・・・・・・。
うそです。
言葉は厳しかったけど、とてもこちらの気持ち
を、読んで愛情を持って看護にあたってくれました。
たまに愚痴ったり、サボりにきてたけど。
夏休みで実家に帰った時に、地元のねぷた祭り
で使われる、お守りの鈴を、自分と妻にお土産
に持って帰って来てくれた事がありました。(
何時も、お菓子をネダラレてたので、それぐらい
当然と言えば当然ですが・・・・・・・・・。)
でも、不覚にもちょっとジーンと来ちゃったのを
覚えています。
仕事はとても大変そうでしたけど。一つ言っとき
たいのは、あなたの笑顔や、つまんない話で、
救われた事が何度もあったと言う事。
多分他の患者さんも同じだと思うし、他の看護師
さん達も、沢山の患者さんの心を支えていると言う
事実を伝えさせて下さい。
どれだけ素晴らしい事を、あなた達がしているのか。
毎日の忙しさの中では、そんな時間も無いので
しょうが。仕事を超えた仕事をしているのだと、
病気だけからでなく、心も救っているのだと言う
事を心に留めといて下さい。
誇りと、一層の自信を胸に頑張って下さい。
ところで、スパルタnsさんって、だれ?

本日は、二回目のワクチン注射に行って
来ました。
と、いうか、前回のは反応テストで、今日のが
本当のワクチン注射です。
今、自分の左腕には、ほぼ二㎝間隔で打たれた
注射の痕が残っています。
これから、こいつらが、じわじわと体の中に入り
込んで、あれやこれや激闘をしてくれるのかと
思い、頼もしい気持ちで一杯です。
さながら、日本代表をピッチに送り出す、オシム
監督の気持ちではありますが、今の自分は、
オシム以上に、勝ってこいや!と、言う気持ちが
強いのは、言うまでもありません。
二週間クールで後、二回の戦い。
本当は、引き分けでも充分勝ちに値します。
今日ブログ読んだ、20年らいの友達に、
この期に及んでも、相変わらずヒョウヒョウと
してるねと電話をもらったのですが、今回の
自家癌ワクチンも、ヒョウヒョウと効いちゃって
くれる事と信じています。
頑張れ日本!じゃ無くて、頑張れワクチン。
ってな感じです。

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2006年9月16日 (土)

始まりました、自家癌ワクチン。

いよいよ始まります。
自家癌ワクチン。
まさしく、運命を分ける治療が今日から
始まりました。
抗がん剤治療を後回しにして、
主治医から離れ、自分で選択を下した治療法
です。
まさに、命懸の自己責任です。
自家癌ワクチンというのは自分の体の中に
あった癌細胞をワクチンに変えて体に戻すという
オリジナル治療でまだ症例自体が300件ぐらい
しかなく、しかも自分の軟部肉腫での事例は無い
そうです。あまりゆっくりしていられない自分が、
何故、これを取ったのかというと直感みたいなもの
でしょうか。初めは、自分では絶対こんなの判断できる
訳ないと、なんで自分がこんな命の選択をしなくちゃ
いけないのかと呆然としていましたが、ふと思えば
左足を切断する時も同じ様に自分で選択を下し、
事に臨んだ事を思い出して、腹を据えました。
多分、自分の人生の中でも一番の選択である事は
間違いないでしょう、でも、今回は勝ちます。
直感と言いましたが、実はそれだけでもなく他にも
理由は有って、この自家癌ワクチンに出会ったタイミング
も、その一つでした。病院からベットが空いたので、明日
から抗がん剤治療に来て下さいとの連絡を、入院前日の
昼に受けたときには実はまだ、その存在すら知らず、
たまたまその夜、前の日に家に見舞いに来ていた母に
紹介されていた医学雑誌を読んでいて初めて情報が
入ってきたのです。もともと抗がん剤が効きにくいと、
言われていたのと、自家癌ワクチン自体が、抗がん剤の
後だと一ヶ月待たないと行えないという物だったので
自分としても、抗がん剤で体力が落ちる前にやって
みたいという気持ちに成り、病院の先生には迷惑を
かけてしまったけれど、なにか、運命的なものも感じて
トライすることにしたのです。
約2ヶ月間に、5本の注射を打って様子を見ます。
大きな賭けですが、多分自分の人生の勝負運が
ここで大きく花咲くと思います。
奇跡を信じ、なにより自分の生命力を信じ戦って
行こうと思います。自分の癌細胞頑張れ(癌細胞
ワクチンのほうね)。
次回の、お注射は、来週の水曜日予定です。

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2006年9月15日 (金)

元気な子が出てきます。

痛風っぽいの、だいぶ良くなりました。
まだ、親指では踏ん張れないものの、刺す様な
痛みからは解放されました。
来週、病院で再検査ですが、それまでに治って
くれればと思います。
それから、良い報告があります。
この前のブログで、お腹の子供の染色体異常の
事を話ましたが、昨日病院で最終検査結果を聞き、
特に問題無いとの事でした。
内臓や体も細かく見てもらいましたが、心配は無い
です、とのお医者さんの心強い言葉、久しぶりに
嬉しい気持ちで満たされました。
妻のお腹も、一著前の妊婦さんみたく成ってきて
いよいよという気持ちが高まって来ました。
とにかく今は、元気な子供の顔が見れるのが待ち
どうしいです。

今日は、リハビリで病院に行ってきました(なんだ
かんだで、ほぼ毎日病院には言っているのだが)。
リハビリといっても、先週着けた義足の調整に行った
のだけど、もともと痛風の痛みがまだ残っているので
あんまり無理は出来ないなと思っていったのだが、
やはり、前回程の進歩はなく終わってしまい少し、
気持ちに焦りが生じました。
直後に母親からケータイに電話をもらった時に、
いらっとして、きついことを言ってしまい流石に
可哀想だったかなと反省しました。
多分、今日のリハビリの感じだと義足に慣れる
のって結構難しそうで、自分の中ではもっと簡単
に歩けるようになるイメージだったので正直
ショックでした、今回はそのまま義足を家に着けて
帰って来たのですが、車の乗り降りから始まって、
一番泣けたのは、たかだか玄関で靴を脱ぐという
作業が出来なかったこと、手が左の義足側の足先
まで届かないのです、玄関で10分ぐらいジタバタ
して、靴べらを1本駄目にしても無理。
久しぶりにギブして妻に脱がしてもらいました。
うーん、奥が深そう。そんな深くなくていいのに、
と思いながら義足生活第1日目は終わりました。

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2006年9月12日 (火)

また転移ですか?

4ヶ月ぶり、
会社に行って来ました。
と言っても、残念ながらまだ社会復帰ではなく
気持ちのリハビリの為ボスのお願いをして
会社の空気を吸いに行かせてもらったのです。
しかも妻も一緒に。
久しぶりに懐かしい顔に囲まれて、なんで自分が
ここにいなかったのか、不思議な気持ちになりました。
退院祝いにと、女の子が朝から並んで買って来てくれた、
ニンテンドーDS、花束、そして応援。
皆に心配をかけ、皆にこんなに支えられてるんだと、痛いほど
感じました。帰りの車のなかで妻が皆良い人達だねといっていました。
自分自身も、頑張ってる皆の姿をみて刺激を貰えたし、
1日も早くここに戻って来たいという気持ちを再度持つことができ
良い時間を過ごせました。
普通の会社なら、これだけ穴をあけてればもう机なんて無いので
しょうが・・・・・・・・・・・・・。
とにかく、自分に出来ることは早く復帰してボスや会社の皆に
仕事で恩返しをすることです。

今朝、朝の6時頃右足の親指の付け根に走った激痛で目が覚めました。
3日程前から、じわじわ痛くなっていたのですが、さすがにごまかしが効かなくなったのか、結構いい感じで疼きだしたのです。
昨日、妻に症状を伝えたのですが、転移ではないかと心配していたのでふと、そのことを思いだして、ベットのうえで暗い気持ちになりました。
唯一残った足がもしこのまま使えなくなったらと、自分の心をシュミレーションしてみました。
うーん最悪。可愛そう過ぎるでしょう、そればっかりは、神様。
昨日の夜も2階に上がるときは大事を取って、座ったままお尻で
階段を登ったりとか、おしっこもバランスが取れないから座ってしたり、
なにより、親指がめちゃくちゃ痛くて普通に部屋の中で歩くのさえ何度もコケそうになったりと、充分苦しんでいたのに、転移だなんて、ねーまさか。
とうだうだ悩んでいてもしかたないので、妻に病院に電話してもらい診てもらいに行きました。
疲労骨折かなんかですかねーという自分の問いかけには、
反応が鈍くうーんよく判んない。レントゲンと血液検査もやっとき
ましょうという先生の判断でドキドキしながら再度診察。
うーん、多分痛風かな。
まじですかー、何もこんなときに、痛風って。
転移の可能性は低いらしいのだが再来週にMRIの検査予約を
入れました。
一応先生の話では薬で治るからと、痛み止めとシップを処方して
もらい診察終了。只その頃には痛みがピークを向かえていて
履いてきたスリッパの先がチョコット何かに触れるだけで激痛が
走る始末、飛び込むように薬局に行き、もらった痛み止めを飲みました。
シップと薬の効果で今はだいぶ楽になったけど、俺の体って
こんなに病気好きだったのかいと思う今日この頃です。

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2006年9月 9日 (土)

作戦変更

再入院終了。
kaka君ごめんね、2日で退院しちゃいました。
急遽、抗がん剤治療を延期しました。
入院前日とある医学雑誌の記事に目が止まり、
別の治療法を選択することにしたからです。
今の病院の先生はとても信頼しているし、命を
預けています、人間的にもとても素敵な方で、
尊敬もしています、ただ今回は自分の命がけの
我がままを相談させてもらいました。
とても親身にアドバイスをしてくれました。
本当に感謝です。
と、云う訳でkaka君、予定よりだいぶ
早く退院しちゃいましたので又、2ヶ月後の抗がん剤
治療で会いましょう。
どんな治療をするのかは又後日書くこととして、じつわ
昨日、待望の仮義足の試運転をやってきました。
つい面白くて2時間ぶっとうしで歩きまくりました。
前回型取りした腿に合わせたソケット状のものを
かぶせ、その下にターミネーターみたいな足を接続
します。カッコイイ・・・・・・・・・・。
昔、子供の頃ミクロマンという玩具で遊んでましたが
30数年後、自分の足がミクロマンになるとわ・・・・。
しかも、前々回の打ち合わせのときに先々にウインド
サーフィンをやりたいという気持ちに共感してくれた義足屋
さんが膝のパーツをなんと5種類も用意していてくれたのです。
(普通は決めたものしか用意しないそうです)。
おかげで2時間たっぷり着け比べを楽しみました。
選んだのはインテリジエントという、ちょつと上級者向きの
やつです。もっと簡単な物も用意してくれていたのですが、
先々ウインドをやる為にも運動性能の高いのにチャレンジ
する事にしました。マイコンチップ入りというのも引かれた
理由ですが。
走れるし、チャリンコも乗れるみたいで先々楽しみな奴です。
只、義足の世界はなかなか奥が深く難題も沢山あるようで、
義足のソケットみたいのを着ける前に、シリコンのカバーを
履くのですが、これがしっかり肌に合わなくて、足がミミズ腫れ
になったり、ソケットがお尻の変な骨に当たって歩く度に激痛
が走ったりと、しっかり歩けるようになるまでは、もう少し時間が
掛かりそうでした。
しかし、久しぶりに2本足で歩けたのがよほど嬉かったのか
妻のストップがかかるまでひたすら歩いちゃいました。
人間の体のメカニズムは、改めて神業だなーと、妻と
その夜、語りました。
そうそう、今日は妻の30歳の誕生日でした。
何時もなら、プレゼントやらカードやらレストランやら
いろいろサプライズを仕掛けるのですが今年は、結婚記念日
もなにもしてやれずじまい・・・・・・・。
せめてもと思い小さいケーキを買ってきて、夕飯後、紅茶で
可愛く乾杯しました。うーん、ごめんね。来年はもうちょと
喜ばせてあげるから。

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2006年9月 5日 (火)

第二ラウンド。

1.2センチ。
術後、1月後の再検査のMRIのフィルムに
またしてもがん細胞が肺に転移してました。
なんて、元気なんだろう君達は?
もうちょっとゆっくりでも良かったのに・・・・。
第二ラウンド開始です。
退院して2週間強、義足の打ち合わせも
予定より早く進み、今月中にはひさしぶりに、
会社の可愛い後輩達に会えるなと楽しみに
していたのに、少し難儀な戦いにもう1度戻り
ます。
実は、今までここでは書かなかったのですが、
妊娠中のお腹の子供に染色体異常の可能性が確認
されていました。いわゆるダウン症の子供が
生まれてしまう可能性の高い症状です。
医者に指摘されたときの妻の苦しみは、自分
には分かりません。結婚後なかなか子供が
出来ず、今年の1月にようやく、と思ったのも
つかの間、流産。
その悲しみのなかでの今回の妊娠。
周りの誰よりも喜んでいたのに。
ただ悪い話ばかりでもなく、羊水検査の結果
では、8割がた大丈夫そうとの事。
来週の水曜日には最終結果がでるのだが。
妻は自分の退院に次ぐ明るいニュース
に、さあこれからというタイミングで。
医学的に見ると、今回の肉腫からの肺への
転移は、効く抗がん剤が見つかってない自分
にはシビアな物らしく、もしもの時を考える
周りの方達の助言の中には、まったく悪意は
なく、逆に妻を愛して本当に心配した上で、
もしも1人になってしまった時の事も含め
子供をどうするか考えなさいと言うアドバイス
もあり、転移が判って泣きじゃくる妻を安心
させてあげる事の出来ない自分にさすがに
今回涙がでました。
妻は、自分からしても気丈で強く振舞う癖
がありその反動で脆さも人1倍です。
それでも何度も立ち上がって前に進もう
としている彼女を自分は誇りに思います。
力をもらえます。
退院してから、会社のボスや、役員。友達。
親戚。肉親。近所の方々。沢山の人に力を
もらいました。それだけでも軽く10年、20年
生きられそうな程。
もうすぐ再入院ですが、皆さんからもらった力と
自分のしぶとさ(心の太さ)を信じ戦ってきます。
応援してくれてる会社の後輩、悪いけどもうち
ょっと待っていて下さい、必ず元気に戻ります。
かちょいい義足を見せびらかしに戻ります。

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2006年8月14日 (月)

退院です。

突然ですが、退院です。
先週末の、朝の回診で、そろそろ退院
したいでしょう、と云う事で3ヶ月間のよにんべや
生活に終わりを告げる事になりました。
と、言っても来月には放射線、その後1年間ぐらい
入退院を繰り返し抗がん剤治療もありますので
まだまだここには来なくてはならないのですが。
なにより、今の状況で、自宅に帰ってどこまで
日常生活がこなせるかが心配です。
まだ、術後の痛みで便器にも、まともに座れ
なかったり、階段の昇り下り、リハビリもはじめて
4日ぐらいだったり。
家には、めちゃくちゃ帰りたいけれど、同じぐらい
不安がいっぱいです。
妻の体のことも有り、自分が家に帰ることで
今まで病院で、面倒見てもらっていた事も
全て彼女に掛かってしまうのかと思うと。
と、色々考えても、ここも前に進むのみ。
病院の看護師からも、アドバイスをもらい、
又、周りの人達の力を借りて乗り越え
て行こうと思います。
ブログはこれからも更新していきます。
もしかすると、これからが本当の戦いかも
しれません、どうぞこれからも、宜しくお願い
します。

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2006年8月 8日 (火)

妻のウインドサーフィン情報?

最近妻は、ウインドサーフィンの事を
いろいろ調べています。
と言っても、本人がやるわけでわなく
自分が義足で歩けるようになったときの為に
現在実際に義足でウインドをやっている人に
メールでアドバイスを受けたり、スポーツ義足を
専門で、開発している機関に問い合わせを
してくれたり。自分の日々少しずつの歩みに
合わせるように次の目標の資料となる物を
目の前に揃えてくれます。
なかなか病院の中にいると、ふと気がつくと
1日が終わっていることが多く、そんな中
妻の、機転には、感謝と愛情を感じます。

入院してそろそろ3ヶ月。
実は、整形外科という病室は本来性質上手術
入院しても3週間、抗がん剤治療でもやはり
2週間程度なので、4人部屋は出入りの激しい
所なはずなのだが、自分の病室にはなぜか
入院以来の友がいる。
お互いかなりイレギラーな情況で治療、手術を
受けているので変な縁があったのだろう。
年は彼のほうが10近く下になるが、よく冗談を
言い合っている。
彼の存在にも助けられた所は少なくなかった。
少なくとも、なんで自分だけが?とか、何時に
なったら退院できるの?とかという気持ちに
深く落ち込むことはあまり思いだせない。
1年後、2年後、お互いそれぞれの職場で頑張って
汗を流していることを願い。

まだまだ、抗がん剤治療、放射線治療と、治療自体も
やることはあるけれど、1つ1つが逃げれることでもないし
1つ1つが自分への与えられたハードルだと思い
クリアーしていこうと思います。
人生の中で、意味の無いハードルは一つも無さそう
なので。

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2006年8月 6日 (日)

しぶとく。

起きてくださーい。
大丈夫ですかー。
もう、終わりましたよー。
聞こえてますかー。

頭の奥で、誰かが叫んでいる。

いきなり妻の声が近くで聞こえる。
よく頑張ったね、もう終わったからね。

じぶんは、ようやくその声に小さく応える。
痛い・・・・・・・・・・。

その日、いよいよ自分は左足の軟部肉腫の
手術を、昼に向かえていた。朝早くから妻がやってきて
その後から、母親、弟家族、姉家族、親戚などで、早くもナースステーション前は、十数人の見舞い人でいっぱいになっていた。
昨日の夜には、浣腸も済ませ、切断部の剃毛も、済ませた。
自分はなぜか、落ち着いていた。
生きるために、前に進む為に。
この2つの言葉に妙に説得されていた。
実際、ナースステーションの、親戚の前を通り過ぎる時などは、さながら、心境は、まな板の上の鯉です。と、冗談を言ってみたり。
ところが、それも手術室に入る前には、ヘボイ強がりだったのに
痛感させられました。まず、入室の時には出来るだけ余計な物、機具が、目に入らないよう下を、向いていました。
これは、看護師さんから、足とかの切断するときは、普通の大工みたいに電動ノコギリで、切り落とす。と、聞いていたので、そんなもの、術前に見たくないと思い細い眼を、さらに細くして術室に進んで行きました。
そんな、気持ちでベッドで、名前確認、点滴の針刺し、とかしている
うちに、本当に今からこの左足を。
気がついたらこの足が無くなっているのか。
と、タンタンと作業が進めば進むほどどうしようもない気持ちが充満して・・・・・・・・・・・。
でも、乱れる呼吸は目の前の酸素マスクに、すーと。

やがて、4時間半の眠りから、ぼんやりと呼び戻され・・・・・。

丸2日、とにもかくにも痛い・・・・。
耳元で良く頑張ってるね、偉いねって、言われたけど、だって、どうにもなんないでしょ、この痛み。
なんか、言ったらなんとかなるの。つて、やけくそで声にしなかった。
なんとかなるなら、大声で叫んでた。
それから、2日目の午後の内服の痛み止めあたりからようやく、人並みの痛みに成ったと思いきや、つぎに待っていたのは、貧血。モルヒネの残りも手伝ってか少し目を開けただけでも部屋中ぐるぐる。
頭の中では目の前が、駄菓子屋やら、草原やら、変な幻覚が入れ替わり立ち代り・・・・・・・・・・・・・。

3日目、ちょつと調子に乗って食べた物が見事に放出。
4日目は、食事もままならず、何故か点滴の数は増えるばかり。
ようやく、7日目あたりから車椅子にチャレンジしたり、残った左足をまともに見たり、食事もしたり、友達からのメールを見たりするようになりました。

10日目、色んな人にお見舞いに来てもらい、色んな言葉を戴きました、中に、新聞のコラムを持って来た方がいて、35年前に、やはり自分と同じ種類の癌に冒され、左足を切断した主婦のコメントで、「とにかく残された機能を最大限に生かして生きている。」その言葉を、妻と目にしたときもう一度強く生きてやろうという気持ちになりました。

トイレで、用を足すのもままならなく、最初は看護師さんに、パンツまで下げてもらい、(まだ、体は妻に拭いてもらっている)冷蔵庫からウーロン茶一つ出すのも、朝カーテンを開くのも歯を磨くのも人任せ。

でも、前に進む為に切ったスタート。
今はまだ、ベットの回り、半径25センチの世界だけど、(今、孫の手で、いろいろ物を動かしたりしているので)毎日、数センチずつ広げて、しぶとくいこうと思います。

センチ刻みのしぶとさもいつかは、大きな物を動かすと信じて。

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2006年7月27日 (木)

そんじゃ。

6時半起床。
400ミリリットルの水を飲み、歯磨き。
排尿の尿量チェック。
後は、予定時刻11時半に、ガウンに着替え
3階の、手術室に向かいます。
昨日は思ったよりもしっかり眠れました。
心の整理は最後までつきませんでしたが、
かわりに、ここ2日で沢山の方々に電話、メール、
などで励まされ、昨日の夕方には、うちのボス
軍団がわざわざ1時間も笑かしに来てくれました。
寄せ書き?寄せ写真?も、もって。
笑えるって、事がありがたいです。
皆さんの気使いが、身に沁みました。
夜と、朝には、義理の母からのメールが。
そして、妻の笑顔。
自分の為だけで、戦うのはシンドイけども、
これだけ沢山の人に支えられると、不思議に
力も湧くもんなんだと気付きました。
それでは、ちょっと行ってきます。
少し強くなって、又、報告します。

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2006年7月26日 (水)

心の整理。

いよいよ明日です。
昨日、主治医の先生から手術の説明が
ありました。
足のひざ上か、根本で切るか。
それについての転移のリスク、その後の
治療方針。病気の性格。他にできること。
1時間ぐらいの時間の中で、前もって妻と
打ち合わせしていたこと(もし、決心つか
なければ延ばしてもらえるのか?代替医療
などの術後の併用など)も。
今、自分がいる病院は癌では日本で最高
権威だと思われ、その中でもこの病気の
第一人者の方なので、気分を害させちゃう
だろうと2人で心配していましたが、こちらの
話は全て、快く受け止めてくれました。
日頃、回診の時は、冗談交じりで少しユー
モラスな先生ですが、今朝の回診では
「良い人に限って酷な決断を迫られるんです
よ」って、やっぱり人の命を預かる人は
凄いなと思ったと同時に、この先生になら
心も預けても心配ないと、強く確信しました。
術前にあたっては、色んな方々、特に義理の
父、兄夫婦、妻が、躍起になって情報を集め
て、アドバイスしてくれました。
それがなければ、今こんな気落ちでブログに
向かってはいなかったと思います。
41年間自分を支えてくれた左足とは、明日で
お別れですが、それ以上のものをこれからの
人生で掴んでいこうと思います。
術後のリハビリ、抗がん剤治療、日常生活、
社会復帰。まだまだこれから超えなければ
ならないことは少なくないですが、周りで
支えてくださっている方々にもう少し甘えさ
せてもらいます、すみません。

病院の看護師さんも、もうちょっと付き合ってね、特に、ティーさん。

また、術後、気持ちが少し落ち着いたら
再開させてもらいます。
自分の体と、心を信じると、共にブログに
コメントを戴いた方々、自分と妻を支てくれて
いる方々に、幸せが訪れますように。

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2006年7月21日 (金)

いよいよ来週。

いよいよです。
手術日が来週の木曜日に決定しました。
来週前半に主治医より、説明をうけます。
来週の今頃は、もう終わってます。
いよいよか、と言う気持ちと、その後の自分
の気持ちがどうなっていくのかが見ものです。
自分がどれだけ強くいられるのか、前向きに
生きられるのか、せっかくなんで楽しみたいと
思っています。
以前、この病気が悪性と分かりここに入院する
直前に、5月29日に誕生日を迎えた母親から
手紙をもらいました。
内容は、来年の70歳の誕生日に、これから起
こる心身の苦しみを乗り越えて、変わらない貴方
の良き「性格」を今年の分も含めてプレゼントして
欲しい、と言うものでした。
まあ、これまで親孝行らしいことは、なにもした
記憶もないので、これぐらい答えてあげようかと
思ってます。
術後は又、体の自由が制限されそうなので
ちょいとお休みになります、近況は妻のブログ
<こころのぼやき>をもし暇があったら見てく
ださい。又、術前に更新したいと思います。

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2006年7月20日 (木)

ぎぶです。

死ぬかと思った、3回目の抗がん剤。
お口に合いませんでした。先週の、火曜日
点滴を始め水曜日から、抗がん剤を入れました。
ところが木曜日の夕方から体に異変が、まず歯茎
が痒くなってきて、つぎに喉、夜中頃には胸が痛く
なり、呼吸が・・・・・・、よく、胸をかきむしる、という
表現を聞いたことがあったが、こんな感じなんだと
思いながら、看護師さんに、なんなんですか、これ。
と、のたうち回りながら看病してもらいました。
次の日の朝、担当の先生に報告したところ、途中
で使ったステロイドの効果も無く、アレルギーっぽい
反応だったので、打ち切りとなりました。
その後吐き気はシッカリやってきたが、今回は、
かなり吐き気止めの薬を飲みまくったので、前回
みたいなことにはなりませんでした。
結局、3種類の抗がん剤が終わったけども、
これといって自分の肉腫に効きそうなのは
残念ながら見つかりませんでした、なんっても
何十万人に一人とかいう肉腫名もんで・・・・・。
うーん、って、悩んでいてもしょうがない。
とにかく前向きに頑張ると決めたので、次の
作戦を担当の先生と立てるだけ。

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2006年7月 6日 (木)

感謝してます。

じん、コメントありがとう。忙しい
ところ。久しぶりに無垢な、子供を見ているだけでも、
心が和みました。又、自分のブログに、沢山方にコメントを
戴いて、なかなかコメントを返せてなく申し訳なく思って
います(本当は、まだ、やり方を妻に教えてもらって
なく、解らないのです。すみません)。実はこのブログは、
一部、友人や、会社の人間にのぞいてもらっています。
病気が病気だけに、なかなか連絡もしずらかったり、自分も
治療や、抗がん剤の状況でお見舞いを断ったりと、
近況をここで報告させてもらってます。その割りに、
週一ペースなんでので、もう少し頑張ろうとはおもってます。
只、日頃、自分の思っていることを、なかなか
言葉にしない人間からしてみれば、結構苦労
しているのも事実なのです。そうそう、今日、明日で、MR,、
CT,X線の検査を行い来週早々、3度目の抗がん剤が始まります
、一週間、24時間ぶっとうしで点滴がつずくので、肉体的にも
精神的にもかなりハードそうです。ここ何日かで、いよいよ抜け毛
も目だってきたので、院内の美容室でバリカンで散髪をしました。
以外にもサッパリした仕上がりで、満足しちゃてます。
サルっぽい感じは、拭えないが・・・・・・・・。
まあ、サルでもなんでも、あと、一ヶ月もすればいよいよ手術
だし、とにかくもう一度、日常生活に戻って、これから生まれて来る
子供と一緒にウインドサーフィンすることを目標に生き抜いていこうと
おもいます。いろいろな方に今は、一方的に助けられているだけで、
頭も上げられない毎日ですが、心から今、生きていること、生かされていろこと
、生きようとしていることは、周りに皆さんのおかげだと思っています。
この病気になってから、妻に、つくずく良い人達に恵まれてるね、と言われます。
5年前、父親が肺がんで他界した時、なんて親父は沢山の人に、愛されていたんだろう、
と、その時思いましたが、自分も短い人生の間に、こんなにも多くの人に支えて
もらっていた事に気づけた事に、とても、感謝しています。

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2006年6月29日 (木)

熊先生

充分堪能しました、2回目の抗がん剤。1週間しっ
かり、つわり状態でした(じつは、見舞いに来てくれ
ていた妻も、つわりがひどく、2人仲良く、食べ物を、
目の前にして、難しい顔をしていました)。そんな中
、先週の土曜日の夕方の番組で、東京身体障害者
福祉センターの臼井二美男さんと云う方が、数年前
に、事故で両足を失った大学生に、スポーツ義足を
創り、それで健常者のトライアースロンに参加する、
という内容の、ものでした。自分がここに入院してか
らしばらくして、朝の回診の時に主治医の先生に、
足を切ってかも、なんとかウインドサーフィンをやりた
いと、相談した事があったのだが、後ろでそのときの
話を聞いていた、ちょっと熊っぽいS先生と云う方が
番組があることを、教えてくれたのでした。良い方ば
かりの病院です。30分間、病院のベットで、妻と一緒
に見ました。何か気持ちに整理がつけば、なんて期待
もありましが、終わったときの気持ちは、全く別のもの
でした。なんて言うのか、まだまだ現実を受け入れて
いない自分がいて、普通にコイツ凄いなー、とか。
今まで41年間成るように成るさで、生きてきたから?
なんても考えましたが、でも見といて良かったです。
やっぱり、もう一度ウインドサーフィンはやりたいし、
友達も、また、どこどこにウインド行こう、とか、メール
を、くれたりしているので、ぼんやりとしたイメージは
つきました(臼井さんに、協力して戴けるかはこれから
先の、話ですが)。とにかく、大きな目標として持つ
ことは出来ました。熊先生ありがとう。
そうそう、嫁さんのお腹の子供も、順調です。この前
エコーで、見てみたらパタパタ泳いでいたそうです。
この子にも、ウインドサーフィンを教えるつもりですが
、既に泳ぎの方は問題なさそうで、なによりです。
しかも、息を止めてですから。上出来。

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2006年6月14日 (水)

変な友達

自分の、友達には変なやつが沢山います。入院してまもなく奥さん子供3人で、
お見舞いに来てくれました、物心ついた子供が、ハイテンションなのは何時もの事
だったのですが、来てくれた友達の、腕には点滴の針が刺さったまま、そうです、
その友達自身も、別の病院に肺炎で入院中、わざわざ外出許可をもらって、自分の
病院まで、勇気を分けに来てくれたのでした。しかも、病院のスリッパと寝間着で、
電車を乗り継いで、バカ話を、1時間ぐらいして、また戻っていきました、付き合い
でいうと15年ぐらい、趣味のウインドサーフィンで知り合い、アホなことばかりやって
きた友です、お互い同じ時期に、入院したので奥さん同士で、どこまで仲が良いのかね、
と、笑っていました。癌の治療の為もうすぐ左足を失います、気持ちの整理なんて、
いつまでたっても出来そうにないけれど、バカな友達の笑顔や、会社の方々や、会社のボスの心配り、
肉親、親戚の応援、なによりツワリで体調もいまいちの中、毎日1時間以上もかけて見舞いに
来てくれている、愛すべき妻の為にも(自分が入院してから毎日欠かさず、近くの神社に、お参り
に、行ってくれてます。)、もう1度元気に社会復帰すること、もう1度海でウインドサーフィンをすること
が、今の自分の心の支えです、もともと他人にお礼を言ったりとか、苦手なので、照れくさいのも
あるけど、とにかく今は前をむいて生きることが恩返しだと思いがんばります。
今日は、これからペット検査というのを行います。ブドウ糖を注射して、MRIの様な機会で、
体全体えの癌の転移を調べるという、優れみのの検査です、明日、明後日の検査で、抗がん剤の
効き具合をみて、次の治療方針が決まります。痛いのも、苦しいのも嫌だけど、とにかく
他えの転移が無いことを今は願います、神様、仏様、ウインドの神様。

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2006年6月12日 (月)

まずは

病院食は、とかく味が、うすいのだろうと思っていたけど、普通食の自分は、特に不満もなくしっかり3食頂いてます。
人生初の入院が、悪性腫瘍ということで、まだまだ自分の心の整理もついてなく、でも前向きに生きていくだけですが、
病気に、気がついてから2ヶ月ちょっとの間に、いろんな人達に励まされ、応援してもらって、今は、なにも出来ないけれど
なにをすべきかも、わからないけれど、とりあえず苦手なパソコンに頑張って向き合ってみようかなと思い始めてみます。
とはいっても、立ち上げは、妻にやってもらってるんですが・・・・・・・・・・。

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