起きてくださーい。
大丈夫ですかー。
もう、終わりましたよー。
聞こえてますかー。
頭の奥で、誰かが叫んでいる。
いきなり妻の声が近くで聞こえる。
よく頑張ったね、もう終わったからね。
じぶんは、ようやくその声に小さく応える。
痛い・・・・・・・・・・。
その日、いよいよ自分は左足の軟部肉腫の
手術を、昼に向かえていた。朝早くから妻がやってきて
その後から、母親、弟家族、姉家族、親戚などで、早くもナースステーション前は、十数人の見舞い人でいっぱいになっていた。
昨日の夜には、浣腸も済ませ、切断部の剃毛も、済ませた。
自分はなぜか、落ち着いていた。
生きるために、前に進む為に。
この2つの言葉に妙に説得されていた。
実際、ナースステーションの、親戚の前を通り過ぎる時などは、さながら、心境は、まな板の上の鯉です。と、冗談を言ってみたり。
ところが、それも手術室に入る前には、ヘボイ強がりだったのに
痛感させられました。まず、入室の時には出来るだけ余計な物、機具が、目に入らないよう下を、向いていました。
これは、看護師さんから、足とかの切断するときは、普通の大工みたいに電動ノコギリで、切り落とす。と、聞いていたので、そんなもの、術前に見たくないと思い細い眼を、さらに細くして術室に進んで行きました。
そんな、気持ちでベッドで、名前確認、点滴の針刺し、とかしている
うちに、本当に今からこの左足を。
気がついたらこの足が無くなっているのか。
と、タンタンと作業が進めば進むほどどうしようもない気持ちが充満して・・・・・・・・・・・。
でも、乱れる呼吸は目の前の酸素マスクに、すーと。
やがて、4時間半の眠りから、ぼんやりと呼び戻され・・・・・。
丸2日、とにもかくにも痛い・・・・。
耳元で良く頑張ってるね、偉いねって、言われたけど、だって、どうにもなんないでしょ、この痛み。
なんか、言ったらなんとかなるの。つて、やけくそで声にしなかった。
なんとかなるなら、大声で叫んでた。
それから、2日目の午後の内服の痛み止めあたりからようやく、人並みの痛みに成ったと思いきや、つぎに待っていたのは、貧血。モルヒネの残りも手伝ってか少し目を開けただけでも部屋中ぐるぐる。
頭の中では目の前が、駄菓子屋やら、草原やら、変な幻覚が入れ替わり立ち代り・・・・・・・・・・・・・。
3日目、ちょつと調子に乗って食べた物が見事に放出。
4日目は、食事もままならず、何故か点滴の数は増えるばかり。
ようやく、7日目あたりから車椅子にチャレンジしたり、残った左足をまともに見たり、食事もしたり、友達からのメールを見たりするようになりました。
10日目、色んな人にお見舞いに来てもらい、色んな言葉を戴きました、中に、新聞のコラムを持って来た方がいて、35年前に、やはり自分と同じ種類の癌に冒され、左足を切断した主婦のコメントで、「とにかく残された機能を最大限に生かして生きている。」その言葉を、妻と目にしたときもう一度強く生きてやろうという気持ちになりました。
トイレで、用を足すのもままならなく、最初は看護師さんに、パンツまで下げてもらい、(まだ、体は妻に拭いてもらっている)冷蔵庫からウーロン茶一つ出すのも、朝カーテンを開くのも歯を磨くのも人任せ。
でも、前に進む為に切ったスタート。
今はまだ、ベットの回り、半径25センチの世界だけど、(今、孫の手で、いろいろ物を動かしたりしているので)毎日、数センチずつ広げて、しぶとくいこうと思います。
センチ刻みのしぶとさもいつかは、大きな物を動かすと信じて。
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