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2006年8月14日 (月)

退院です。

突然ですが、退院です。
先週末の、朝の回診で、そろそろ退院
したいでしょう、と云う事で3ヶ月間のよにんべや
生活に終わりを告げる事になりました。
と、言っても来月には放射線、その後1年間ぐらい
入退院を繰り返し抗がん剤治療もありますので
まだまだここには来なくてはならないのですが。
なにより、今の状況で、自宅に帰ってどこまで
日常生活がこなせるかが心配です。
まだ、術後の痛みで便器にも、まともに座れ
なかったり、階段の昇り下り、リハビリもはじめて
4日ぐらいだったり。
家には、めちゃくちゃ帰りたいけれど、同じぐらい
不安がいっぱいです。
妻の体のことも有り、自分が家に帰ることで
今まで病院で、面倒見てもらっていた事も
全て彼女に掛かってしまうのかと思うと。
と、色々考えても、ここも前に進むのみ。
病院の看護師からも、アドバイスをもらい、
又、周りの人達の力を借りて乗り越え
て行こうと思います。
ブログはこれからも更新していきます。
もしかすると、これからが本当の戦いかも
しれません、どうぞこれからも、宜しくお願い
します。

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2006年8月 8日 (火)

妻のウインドサーフィン情報?

最近妻は、ウインドサーフィンの事を
いろいろ調べています。
と言っても、本人がやるわけでわなく
自分が義足で歩けるようになったときの為に
現在実際に義足でウインドをやっている人に
メールでアドバイスを受けたり、スポーツ義足を
専門で、開発している機関に問い合わせを
してくれたり。自分の日々少しずつの歩みに
合わせるように次の目標の資料となる物を
目の前に揃えてくれます。
なかなか病院の中にいると、ふと気がつくと
1日が終わっていることが多く、そんな中
妻の、機転には、感謝と愛情を感じます。

入院してそろそろ3ヶ月。
実は、整形外科という病室は本来性質上手術
入院しても3週間、抗がん剤治療でもやはり
2週間程度なので、4人部屋は出入りの激しい
所なはずなのだが、自分の病室にはなぜか
入院以来の友がいる。
お互いかなりイレギラーな情況で治療、手術を
受けているので変な縁があったのだろう。
年は彼のほうが10近く下になるが、よく冗談を
言い合っている。
彼の存在にも助けられた所は少なくなかった。
少なくとも、なんで自分だけが?とか、何時に
なったら退院できるの?とかという気持ちに
深く落ち込むことはあまり思いだせない。
1年後、2年後、お互いそれぞれの職場で頑張って
汗を流していることを願い。

まだまだ、抗がん剤治療、放射線治療と、治療自体も
やることはあるけれど、1つ1つが逃げれることでもないし
1つ1つが自分への与えられたハードルだと思い
クリアーしていこうと思います。
人生の中で、意味の無いハードルは一つも無さそう
なので。

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2006年8月 7日 (月)

子供は残酷?

4時間半の、手術は、術前説明の通りだった。
切断に2時間、足の付け根までのリンパの処理に
2時間半。
今後はリハビリを始めながら、約1ヶ月強の
放射線治療等を行い、その後、再度半年から
1年間の抗がん剤治療を行う予定です。
自分でも出来ること。よく噛んで食べる、よく
笑う、よく寝る、適度な運動。
当たり前のことを、当たり前に心掛ける。

子供が残酷とはいまさらながら
思い知らされた。
昨日、弟の家族がお見舞いに来てくれた。
3人目の出産を今月末に控えた奥さんと
2人のがきんちょを引きつれ。
ベットの前に着くなり、ジャージの左足部分の
結び目を見て、まず一言、キモイー。
次に、ハムみたい。ねー足、どこ行ったの?
一緒に来ていた母親は、頭ごなしに叱っていたが
今思えば、もっと、しっかり説明するべきだったな
と思い後悔しています。
何で自分がこうなったか、周りの人たちの応援、
辛かった事、嬉しかった事。
しっかり理解させないと叱られても又、同じ発言を
繰り返すのだろうと思いました。
本当に残酷なのは、それを教え切れない周りの
大人達なのだなと、つくずく考えさせられました。

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2006年8月 6日 (日)

しぶとく。

起きてくださーい。
大丈夫ですかー。
もう、終わりましたよー。
聞こえてますかー。

頭の奥で、誰かが叫んでいる。

いきなり妻の声が近くで聞こえる。
よく頑張ったね、もう終わったからね。

じぶんは、ようやくその声に小さく応える。
痛い・・・・・・・・・・。

その日、いよいよ自分は左足の軟部肉腫の
手術を、昼に向かえていた。朝早くから妻がやってきて
その後から、母親、弟家族、姉家族、親戚などで、早くもナースステーション前は、十数人の見舞い人でいっぱいになっていた。
昨日の夜には、浣腸も済ませ、切断部の剃毛も、済ませた。
自分はなぜか、落ち着いていた。
生きるために、前に進む為に。
この2つの言葉に妙に説得されていた。
実際、ナースステーションの、親戚の前を通り過ぎる時などは、さながら、心境は、まな板の上の鯉です。と、冗談を言ってみたり。
ところが、それも手術室に入る前には、ヘボイ強がりだったのに
痛感させられました。まず、入室の時には出来るだけ余計な物、機具が、目に入らないよう下を、向いていました。
これは、看護師さんから、足とかの切断するときは、普通の大工みたいに電動ノコギリで、切り落とす。と、聞いていたので、そんなもの、術前に見たくないと思い細い眼を、さらに細くして術室に進んで行きました。
そんな、気持ちでベッドで、名前確認、点滴の針刺し、とかしている
うちに、本当に今からこの左足を。
気がついたらこの足が無くなっているのか。
と、タンタンと作業が進めば進むほどどうしようもない気持ちが充満して・・・・・・・・・・・。
でも、乱れる呼吸は目の前の酸素マスクに、すーと。

やがて、4時間半の眠りから、ぼんやりと呼び戻され・・・・・。

丸2日、とにもかくにも痛い・・・・。
耳元で良く頑張ってるね、偉いねって、言われたけど、だって、どうにもなんないでしょ、この痛み。
なんか、言ったらなんとかなるの。つて、やけくそで声にしなかった。
なんとかなるなら、大声で叫んでた。
それから、2日目の午後の内服の痛み止めあたりからようやく、人並みの痛みに成ったと思いきや、つぎに待っていたのは、貧血。モルヒネの残りも手伝ってか少し目を開けただけでも部屋中ぐるぐる。
頭の中では目の前が、駄菓子屋やら、草原やら、変な幻覚が入れ替わり立ち代り・・・・・・・・・・・・・。

3日目、ちょつと調子に乗って食べた物が見事に放出。
4日目は、食事もままならず、何故か点滴の数は増えるばかり。
ようやく、7日目あたりから車椅子にチャレンジしたり、残った左足をまともに見たり、食事もしたり、友達からのメールを見たりするようになりました。

10日目、色んな人にお見舞いに来てもらい、色んな言葉を戴きました、中に、新聞のコラムを持って来た方がいて、35年前に、やはり自分と同じ種類の癌に冒され、左足を切断した主婦のコメントで、「とにかく残された機能を最大限に生かして生きている。」その言葉を、妻と目にしたときもう一度強く生きてやろうという気持ちになりました。

トイレで、用を足すのもままならなく、最初は看護師さんに、パンツまで下げてもらい、(まだ、体は妻に拭いてもらっている)冷蔵庫からウーロン茶一つ出すのも、朝カーテンを開くのも歯を磨くのも人任せ。

でも、前に進む為に切ったスタート。
今はまだ、ベットの回り、半径25センチの世界だけど、(今、孫の手で、いろいろ物を動かしたりしているので)毎日、数センチずつ広げて、しぶとくいこうと思います。

センチ刻みのしぶとさもいつかは、大きな物を動かすと信じて。

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